特集:ラモン・チュルヒャー
『動物』三部作の世界

©Alex Hasskerl

スイス映画界、そしてドイツ語映画圏の異才として注目を集める映画監督ラモン・チュルヒャー。その作品世界は、自身の兄弟であるシルヴァン・チュルヒャーがプロデューサーを務め、共同監督や共同脚本として名を連ねることもある「動物三部作(Animal Trilogy)」を中心に展開しており、その一貫した独自の美学とテーマ性が批評家や映画愛好家たちから高く評価されている。

チュルヒャーの非凡さは、2013年の長編デビュー作『ストレンジ・リトル・キャット(Das merkwürdige Kätzchen/The Strange Little Cat)』において、すでに明白だった。この作品は、ある家族の日常生活の一場面を、まるでカメラが覗き見るかのように捉え、リビングやキッチンといった室内空間で繰り広げられる複数の登場人物たちの断片的な動きと会話を驚くほど綿密なフレーム構成で描き出している。家族内の語られない緊張感や目に見えないエネルギーの流れを、時に猫や様々なオブジェの存在を介しながら、細部に渡って捉えるその手腕は見事という他ない。このデビュー作は、後の三部作に通底する、人間もまた他の動物に囲まれた動物であるという彼の哲学の原点を示している。

そして三部作の2作目となるのが、2021年の『ガール・アンド・スパイダー(Das Mädchen und die Spinne/The Girl and the Spider)』だ。アパートの引越しを巡る2人の女性を軸に、集合住宅という閉ざされた空間で交錯する様々な人間模様や複雑な感情の絡み合いを、時にユーモラスに、時に残酷なまでに鋭く描き出したこの室内劇は、デビュー作の実験性をさらに深化させ、柔和な温かさと、目に見えないナイフのような鋭利な言葉による心理的な暴力を微妙なバランスで共存させている。この実験性と完成度の高さはすぐに世界的な評価を得て、フランスの映画誌『カイエ・デュ・シネマ』の2021年度の年間ベスト映画の1本に選出されたことはまだ記憶に新しい。

そして、三部作を完結させるのが、2024年の『煙突の中の雀(Der Spatz im Kamin/The Sparrow in the Chimney)』である。先の2作品が確立したスタイルを土台としつつも、チュルヒャー流の観察眼がさらに鋭利に研ぎ澄まされた本作では、より複雑な家族・親族関係と、過去のトラウマが現在に影を落とす「世代間のトラウマ」の描写にも焦点が当てられている。「破壊と再生」という主題のもと、家庭内の権力構造や軋轢が次第に露わになり、最終的には動物への残虐行為や自傷行為にまでエスカレートし、中産階級の体裁の裏に隠された家族の病理が露呈していく。三部作を通して探求されてきた人間存在や関係性の曖昧な本質に再び光があてられると共に、ここでは愛と破壊の相克が映し出されている。

チュルヒャー作品の魅力は、その非物語性と、空間や動作を捉える際の過剰なまでの細部への拘りにある。しかしながら、彼の作品はこれまで日本国内においては単独で紹介されることが多く、この12年にわたる一貫した探求の全体像は、まだ十分に共有されていない。しかし、チュルヒャー自身がこれら3作品を「兄弟」のようなものとして捉え、静止と動き、人間と動物といった主題のもとで長期に渡って一貫性をもって変奏してきたこれらの作品がまとめて紹介される機会となる今回の上映は、彼自身の初来日と併せて、彼の芸術的意図と進化の過程を、日本の観客が深く掘り下げて理解するまたとない機会となるであろう。