中国 / 2025 / 131分 / 監督:ツァイ・シャンジュン(CAI Shangjun)
きっかけは、病院での偶然の再会だった。かつて恋人関係にあったメイユンとバオシュウは、長い別離を経て、再びお互いの人生に深く関わることになる。メイユンには既婚者の恋人がおり、彼の子どもを妊娠したばかりだった。だが、刑務所を出て同じ街で暮らすバオシュウが末期がんだと知り、メイユンは彼を自らのアパートに迎え入れ、治療に専念させようとする。
本作では、共通の秘密によって痛ましくも絡み合った男女の愛憎が描かれる。数年前、男は女の犯した罪の責任を被って入獄した。しかし、わずか1年ほどで、女は新しい人生を始めてしまう。刑期を終えた男は、自己犠牲が無駄に終わり、愛が憎しみへと変化した世界へと足を踏み出す。秘めた過去を抱えた男女の葛藤をスリリングに描いた本作は、寡作なツァイ・シャンジュンの待望の長編第4作。2011年の『人山人海』(ベネチア映画祭監督賞)や2017年の『氷の下』に続くフィルメックス上映作品となる。愛と憎しみ、そして贖罪の不可能性について描かれたこの物語は時に容赦なく展開し、観客の心を揺さぶるだろう。生々しい映像によって、倫理的に複雑な物語を繊細かつ重厚に描くツァイの作風はここにきて新たな高みに達している。本作はベネチア映画祭のコンペティション部門で上映され、主演のシン・ジーレイ(辛芷蕾)が女優賞を獲得した。
監督:ツァイ・シャンジュン(CAI Shangjun)
蔡尚君。1967年北京生まれ。中国中央戯劇学院卒業。『スパイシー・ラブ・スープ』(1997)、『こころの湯』(1999)、『胡同のひまわり』(2005)などの脚本を手掛け、『The Red Awn』(2007)で監督デビューし、テサロニキ映画祭最優秀作品賞、アジア太平洋スクリーンアワード審査員大賞などを獲得。第2作『人山人海』(2011)はベネチア映画祭銀獅子賞(監督賞)、続く『氷の下』(2017)は上海国際映画祭の主演男優賞。両作は東京フィルメックスでも上映された。
監督ステートメント
刃の鋭さは、善へと向かう決意を体現しています。
本作『太陽は我らの上に』は、36歳のメイユン(美雲)の人生と感情の激動の一か月を描いています。人生そのものがそうであるように、この映画は劇的な展開を意図的に避け、知覚と感情の論理に従いながら、平凡な人々の日常の営みに焦点を当てています。積み重なる断片が、日々の生活や人生そのものに隠された意味を次第に浮かび上がらせていくのです。
優れた映画には、物語を貫き、登場人物を照らす「光」の源が必要です。本作では、その光はバオシュウ(宝樹)から差し込みます。数年前、恋人だったメイユンの運転する車が重大な事故を起こした時、バオシュウは自己犠牲的な愛から罪をかぶりました。その時、彼の高潔な行為は光を放っていました。しかし彼は聖人ではありません。メイユンのその後の裏切りは彼を打ちのめし、怒りと恨みで満たされた彼をただの凡庸な人間へと引きずり下ろしました。
メイユンは、この夏に自分の人生が大きく揺らぐとは思ってもいませんでした。再度の妊娠、そしてかつての恋人バオシュウとの再会。過去と未来が衝突し、運命は彼女に「古いものを手放し、新しいものを抱きしめよ」と告げているかのようです。彼女はようやく逃げることをやめます。
事故から数年後に再会したメイユンとバオシュウは、もはや恋人ではありません。癒えない傷はふたりの距離を押し広げるばかり。メイユンは頑なに彼に償いをし、許しを得ようとしますが、その必死の願いは次々と起こる不運に阻まれます。経営難の店の破綻、曖昧な関係だったチーフォン(綺峰)との別れ、新しい人生の象徴だった子どもの流産、そして無言で立ち去ろうとするバオシュウ。人生は彼女から次々と何かを奪っていくようです。
悔いを抱く者は赦されず、犠牲を払った者もまた報われない。バス停で、メイユンは藁にもすがる思いでバオシュンに向き合い、最後にもう一度だけ許しを請います。もしかしたらそれは、彼の無関心への怒りなのかもしれないし、心の奥底に秘めた深い悲しみの発露なのかもしれないし、あるいはただ彼が去るのを止めたいという切実な思いなのかもしれません。そしてついに、鋭い刃が肉体を貫きます。
犠牲は善の行いですが、そこには要求が生まれ、善はやがて憎しみに染まるでしょう。刃を他者に向けることは悪い行いですが、それはまた、罪を清算し善へと向かう究極の決断でもあります。善と悪は表裏一体であり、人間の本性は矛盾と混乱に満ちているのです。
絶望は共鳴し、苦しみはふたりを結びつけます。バオシュウの硬化した心は次第に和らいでいきます。彼には彼女の痛みと葛藤がわかるのです。それは彼自身の姿でもあったから。哀れみと共感の瞬間、メイユンとバオシュウは互いの腕に崩れ落ち、涙を流します。
太陽は高く昇り、その光はすべての存在に降り注ぎます。人生は儚く、しかし同時にまばゆく輝いているのです。