審査員長
アルトゥーロ・リプステイン(映画監督、メキシコ)

 ちょうど来日した日に、「日本の富士山みたいなメキシコの火山が70年ぶりに爆発」したのだという。革命以来「約70年間、権力を握ってきた政党(PRI)もこの夏、政権を明け渡したところでね」と、メキシコ映画界を世界に向けて“激震”させてきた巨匠リプステインは、煙草を優雅にくゆらせながら微笑する。
 「私が映画を始めた60年代の中頃は、栄光の頂点に達したメキシコの映画産業が退廃していた時期でした。きわめてアメリカ的な映画言語の商業映画ばかり。その中で私を含む若者のグループが何か新しいことを起こそうと努力したのです。当然の事ながらそんな抵抗勢力に対してプロデューサーを見つけるのはなかなか難しかった。しかし、必ずどこかには違った眼を持った人がいるわけで、そういった人たちの庇護の下、今まで続けることができました。一緒に活動していた中の生き残り組は、2、3人いるかいないかですが、これはわれわれメキシコ人に課せられた宿命だと私は受け止めています。アメリカの隣という宿命。今のメキシコでは、ハリウッドに進むためのオーディションみたいな腹づもりというのが、若い監督のひとつの傾向といえるでしょう。メキシコの危機は永遠の危機だと思います。つまり私自身、当時デビューしたときと同じような心境を抱いたまま、現在も仕事をしているわけです」。
 「ハリウッドのメジャー映画によって隔離されている、われわれの手の届かない映画を扇を開いたような多彩さで観せていただきたい。私が擁護しようとする映画は、自分自身の仕事を続ける意欲を私に強く抱かせてくれるものですね。個人的な関心を呼び起こしてくれる何かを必死に護ろうと、私はふだんの生活でもしています。審査の場でも同じ姿勢を貫くつもりでおります」。
 そうリプステイン監督はコンペ審査の決意を語る。歳月のシワを刻んだ彫りの深い顔立ちに、精悍さと柔和さを等しく宿らせて。
 「審査員長の役割はとても複雑だと思います。いい映画を見つけるといった科学方程式は存在しない。だから、審査員のメンバーみんながそれぞれにいいと思った作品に投票するよう促すこと、加えて、自分が押す作品を守り通すような姿勢を促すことが、審査員長である私の役目だと思っています。民主的な解決としての評決が最終的には必要なのですが、ずっと最後まで討論していたいな、と個人的には望んでおります」。
 おりしも、リプステイン監督の代表作『深紅の愛』の東京での初公開が、初日を迎えた。メキシコの“激震”がTOKYO FILMeXに、さらには東京の街へと今、飛び火しようとしている。
 「映画づくりは人間の究極のエゴイズム。ただし、個人の究極のエゴイズムであればあるほど、それもまた他人と分かち合うことができる、と私は思っています」。

後藤岳史


監督プロフィール:1943年、メキシコに生まれる。父はプロデューサーのアルフレド・リプステイン・ Jr.。メキシコ映画産業の中で育ち、ルイス・ブニュエルと親交を結ぶ。1965年、21 歳にして『Time to Die』で監督デビュー。この作品の脚本にはガブリエル・ガルシ ア=マルケスやカルロス・フエンテスが関わっている。以後、メキシコ映画界の新し い世代の監督として、旧態依然とした製作システムとメキシコ映画の芸術的沈滞に挑 戦。精力的に作品を発表する。1985年の『黄金の鶏』以降、現在の夫人である脚本家 パス=アリシア・ガルシアディエゴとのコラボレーションを開始。1996年には『深紅 の愛』でヴェネチア映画祭銀獅子賞、脚本賞、音楽賞を受賞。2000年サン・セバス ティアン映画祭では最新作『La Perdicion de los Hombres』がグランプリと脚本賞 を受賞している。現在のラテン・アメリカ映画界を代表する巨匠である。

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