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『ヴェルクマイスター・ハーモニー』 タル・ベーラ 監督 インタビュー |
1995年に東京・山形両映画祭を震撼とさせた7時間半の濃密な衝撃『サタンタンゴ』から5年、待ちに待ったタル・ベーラの新作がいよいよ上映される。『ヴェルクマイスター・ハーモニー』と題されたこの映画は「いかにハーモニー、調和が存在しないかについての映画だ」とタル監督は言う。「我々が文明と呼んでいるもののすべては、純粋な音を失うことを意味している」。主人公ヴァルシュカは「彼は無垢な人間だ。この世界を通り過ぎて行きながら、その恐ろしさ、残酷さを一切感じない。彼の持っている興味は唯一、天体だ。宇宙と永遠だけが彼の尺度なのだ。もう一人、エステル氏は純粋な音の探究にしか関心がない。そんな純粋でしかいられない人間たちがどうなるのか」それがこの映画の物語だ。 しかし「一般論をやりたいわけではない」と監督はそのテーマについての政治的/抽象的解釈に釘をさす。「物事とはもっと具体的なはずだ。私は何人かの人間の運命を見せているだけだ。もし観客に彼らを愛させることができれば、観客もその悲劇を自分の悲劇として受けとめるだろう。それ以上の意図は私にはない」 タルの映画の登場人物たちはその生きる世界にがんじがらめにされ、そのコミュニティは集団的な狂気に走る。だがそれは決してハンガリーの、かつて共産圏だっただとかの特殊事情ではない。「君に質問され、イエスかノーでしか答えられない私は自由だとは言えない。自由は質問をする側にある。これこそが民主主義の主要な問題点だ。どんな民主主義体制でも、我々はただ質問されるだけで、投票するかしないかの選択しかない。それが本当の自由だとは私は思わない。自由とはもっと別のものだ」。 タル自身は「私は自由だと思う」と言う。「もちろんいろんなことに左右はされる。金に左右され、(映画の)市場に左右され……。でも私は、自分のやりたいことができなければ、ただやらないだけだ。私には少なくとも飢える自由はあるわけだ(笑)」 この映画の製作には6年かかった。タルはその6年が自由の代償であったと認める。「2年間はひたすら資金集めに費やし、それから1年かけてロケハンを行い、撮影を始めた時には、まだ資金が全部は集まっていなかった。そこで一部だけ撮って金がなくなると、別の資金を探してから撮影を再開する。それからまた中断し、別の資金を探す。カメラマンも7人交替したし、まあいろいろ大変だったよ(笑)」。 『サタンタンゴ』の原作者クラスナホルカイ・ラースロから新作の小説『レジスタンスのメランコリー』を渡されたとき、「最初は映画にしようとは思わなかった」と言う。「しかしベルリンでラース・ルドルフに会った時、『彼こそがヴァルシュカだ』と思ったんだ。だからこれは彼の映画だ」。他にエステル役にペーター・フィッツその前妻にハンナ・シグラと、三人の国際的な俳優が大きな役を演じる。「シグラは9年も映画に出ていない。だがパリで私の作品の回顧上映があり、それを見た彼女が『もう誰とも映画を撮るつもりはなかったけど、タル・ベーラなら』と言ったんだ」。 「私の映画は絶対に大スクリーンで見て欲しい」と語る。「私にとって映画とは物語ではない。あるいは、映画の物語とは単に人と人の間で起こるものではない。画や、さまざまな音、人々のまなざし、風景――つまり我々を取り囲んでいるさまざまなものすべてが映画なのだ。映画はディテールにおいて初めて花開くものであり、そのすべての次元を体験できるようにしなければならない」。 「あなた方に、スクリーンに登場する彼らを愛して欲しい」それがタル・ベーラの観客への呼びかけだ。「そして彼らが破滅して行ったように、あなたも破滅して欲しい(笑)。もちろん私にとっても、それを避けることはできない。これをきちんと真っ正直に作ろうとするなら、監督もいっしょに地獄に落ちるしかない」 Toshi Fujiwara Film Critic
監督プロフィール:1955年、ハンガリー生まれ。1981年、ブタペストの映画アカデミーを卒業後、MAFILMに勤務。1979年から1980年まで、ブダペストの若い映画製作者のために設立されたベーラ・バラージュ・スタジオの実行委員会の会員を務める。1990年以降、ベルリン・フィルム・アカデミーの客員教授を務め、また1996年からはヨーロッパのフィルム・アカデミーの会員でもある。『ヴェルクマイスター・ハーモニー』は4年の歳月をかけて製作された。 |