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『アニーノ』 レイモンド・レッド監督 インタビュー |
レイモンド・レッド監督が今年のカンヌの短編部門でグランプリを受賞したと聞いた時、私は「えっ?短編部門で?」と思った。80年代フィリピンのオルタナティヴ・フィルム・ムーブメントの中で短編作家として頭角を現し、92年にはドイツ資本で撮った『バヤニ』で堂々たる長編デビュー、続く93年の第2作『サカイ』も世界各地の映画祭で上映され、フィリピンを代表する気鋭の新進監督という地位 を確立したはずだった。94年、私が初めてマニラで会った時には、彼は既にCMやMTVで稼いだギャラで豪華な家を建て、妻子を養い、同年代の自主映画作家たちからは雲の上の人のような存在になっていた。その彼が、再び短編映画に戻ってきた。なぜ?レッド「フラストレーションだよ。長編3作目が撮れないストレスを発散させるためさ。1作目を撮った後、ロッテルダム映画祭から資金援助を受けた。その時、2つの脚本があった。ひとつが『サカイ』。もうひとつが『マカピリ』。『サカイ』を2作目に選んで失敗したんだ。初めて商業映画を撮ったものの、プロデューサーに権利を奪われ、思うように編集できなかった。それからずっと、3作目として『マカピリ』を撮ろうとしているが、これが日本軍占領下、同胞を裏切るフィリピン人を描いたちょっと大胆な話だから、プロデューサーがちっともつかない。かといっ て、作家を潰してしまうフィリピン映画のメインストリームには巻き込まれたくない。そうこうしているうちに5、6年経ってしまって…。他の長編作品を作ろうとは思わない。もともと画家志望だったから、ひとつの作品にこだわって、それを完成させないと次に進めないんだ。だから今回は、長編の代わりに短編を撮った。短編は学生の練習用の作品と思われがちだけど、もうひとつの“リアル・フィルム”だよ。長編映画が小説だったら、短編映画は詩のような力がある。どちらもひとつ の作品形態として敬意を払って作りたいんだ。」 妥協知らずのレッド監督。僕はマッチョなんだ、とはにかむところがカワイイかも。なるほど今回の『アニーノ』には、わずか13分の間に詩のような無限の広がりがある。 レッド「主人公を現実に向かわせる黒服の男は、悪魔かもしれないし、天使かもしれない。ラストで主人公が死んだと思った人もいたし、救われたという人もいた。 そういった二面性を持つことが短編の醍醐味だ。解釈は観客にまかせていいと思う 。」 驚くことに、この作品は3日間半の即興の撮影で作られたという。即興はレッド監督も初の試みで、いつもは絵コンテまできちんと用意する彼が、今回は脚本もなかったという。 レッド監督と一緒に来日した主演のロニー・ラザロは、映画やテレビで活躍する役者歴20年のベテランだが(デビュー作はなんと、リノ・ブロッカ監督の『目覚めよマルハ』(78)!)、レッド監督の作品の常連でもあり、『マカピリ』の主役にも予定されている。『アニーノ』の中で見せた深い哀しみと絶望の表情は、少年のよ うに純粋で切ない。クローズアップの似合う役者だ。 ラザロ「即興の演技は楽しかったよ。黒服の男に「いつメシ食った?」と言われ、 咄嗟に「昨日」なんて答えたけど、困惑した感じがよく出たと思う。大変だったのは、大物俳優のエディ・ガルシアを殴るシーンだけ(笑)。役者もスタッフもノーギャラだったけど、みんなお金のためではなく、魂のために働いたんだから、満足してるよ。」 たった約7千ドルで作られた短編『アニーノ』は、“リアル・フィルム”が予算や尺の長さではないことを改めて教えてくれる。至福の13分間を見逃さないで!魂のために。 新藤朝子 フィルムメーカー。
映画祭運営の仕事の傍ら、短編、ドキュメンタリー制作を試みる。 監督プロフィール:1965年メトロ・マニラ生まれ。絵画と写真を学んだ後、スーパー8と16mm映画の制作を習得する。初の長編は1991 〜2年に撮影した16mm作品『バヤニ』。1993年には商業映画『サカイ』を35mmで制作。 (96年、第9回東京国際映画祭で上映。)いずれも1900年ごろに活躍したフィリピン独立戦争の英雄たちの物語である。現在3本目の長編を準備中。ミュージック・ビデオやテレビコマーシャルなどの演出も手がけている。 |