つねに真実、現実に向かって映画を撮っている
『ただいま』 張元(チャン・ユアン)監督 インタビュー

 『ただいま』は、北京の片隅に暮らす家族の“失われた17年間”を描いた人間ドラマだ。再婚者同士の両親をもつ16歳の少女が、ふとした諍いのはずみで義理の姉を撲殺してしまう。殺人罪で投獄された少女は、模範囚として17年間服役し、旧正月を家族と過ごすようにとの刑務所のはからいで仮釈放される。しかし再開発が進む北京の街は変わり果てており、実家があるはずの場所はすっかり打ち壊されていた・・・。これを手がけたのは、ドキュメンタリー、ミュージック・ビデオと幅広い活動をこなす中国第六世代の異才で、中国の“今”を描き続けるチャン・ユアン監督。この極めてシンプルなストーリーを、けれん味のない繊細なカメラワークで演出し、悲劇に打ちのめされた登場人物の驚くほど豊かな感情の息づかいを見る者に伝えていく。ちなみに殺人事件で家族が引き裂かれ、再会を果たすまでの“17年間”は潔く省略されている。
 「TVで短いニュースを見たことがきっかけだったのです。そのニュースは17年間監獄で過ごした人が、旧正月を家族と過ごすというものでした。興味を抱いた私は司法局に申請し、中国の監獄を自分の目で見て回りました。山東、天津、北京など十数ヶ所ほど訪ねたと思います。なかでも天津で出会った受刑者は、17歳で罪を犯し、その何年か後に家族と再会できるという状況にありました。こうした経験が映画化に繋がっていったのです。ニュースを見て監獄を訪ねる前までは、単なる個人的な好奇心に過ぎなかったのですが。17年間の過程を省略したのは、受刑者の監獄生活なんて誰でも想像できると思ったからです。この物語はとても平静な気持ちで書けたし、そうした姿勢を演出にも反映できたと思います」
 中年の夫婦が自転車に乗り、胡同(フートン)と呼ばれる北京独特の曲がりくねった裏路地を行く冒頭のショット。こうした昔ながらの街並みが、17年後のパートでは瓦礫の山と化している光景には驚かされる。「私個人としては、こうした都市の変化は、過去の古い伝統が消え去っていく過程だと思います。多くの庶民にとっては、利便性が増したと言えるでしょう。なぜなら以前の胡同では、それぞれの家庭に便所がなく、共同便所を使わねばなりませんでした。水道ですらそうでした。ただし、映画の後半で老夫婦が住んでいるアパートのような場所に引っ越してしまうと、自然に近所の人間同士の関わりが薄くなっていく。こうした変化を肯定的に捉えるかどうかは、映画を見た人それぞれの考え方次第ということです」
 作品ごとにテーマが違えば、演出のアプローチも当然変わってくる。しかし精神的には、一貫して変わらないものがある。「私の作品にはドキュメンタリーの要素がある。つねに“真実”や“現実”を大切にしたいと思いながら、映画を撮っていますから」。そんな監督の創作活動の前に立ちはだかる巨大な壁は、言うまでもなく中国特有の検閲制度である。『北京バスターズ』『東宮西宮』などの旧作はことごとく上映禁止処分を受け、『ただいま』も公開までに長い紆余曲折を強いられた。
 「脚本の許可が下りるまで1年かかり、撮影が終わった後も7ヶ月ほど待たされました。実際のところ中国国内で映画を作るのは難しい。中国の検閲制度というのは他の国とはまったく異質なもので、それが大きな障害になっています。もちろん検閲の担当者は、“君の映画のここが悪い”などと具体的なことは言ってきません。“悲惨な話だから”という曖昧な理由で問題になるのです。将来こうした状況が好転するかわからないし、検閲にどのように立ち向かうべきかという方法論も私には重要ではない。検閲を突破するのは容易ではありません。国家機関を相手にしては、ひとりの芸術家は赤子のように無力なのです」
 とはいえ、チャン・ユアンが先に述べた“真実に迫る”ポリシーを返上することはあるまい。言葉にはせずとも、そうした確固たる姿勢が感じ取れるインタビューだった。


監督プロフィール:1963年、中国の南京生まれ。北京電影学院を卒業し、監督第1作『媽媽(ママ)』(90)でナント国際映画祭・観客賞を受賞。続いて純粋なインディーズ作品『北京バスターズ』(92)で現代の若者たちの生態を描くが、前作と同じく国内で上映禁止処分を受ける。天安門事件のその後を映した記録映画『広場』(94)、ゲイの若者と警官の心理的葛藤に迫った『東宮西宮』(96)、カリスマ的な英語教師の全国行脚を追った『クレイジー・イングリッシュ』(99)と、1作ごとに世界的な注目を集めている。

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