オープニング作品『ブラックボード -背負う人-』
サミラ・マフマルバフ監督 インタビュー
2000年12月16日銀座第一ホテルにて

 カンヌ国際映画祭史上最年少での審査賞受賞作となった『ブラックボード』は、魂の底から観客を揺さぶる力に溢れている。黒板を背負って、生徒を求めて旅をする教師たち。命がけで密輸の荷物を運びながら、文字を学ぼうとする子供たち。戦火に焼かれた故郷をめざして山道を歩む老人たちと、やかんを持った女性。現実のできごとに繊細に反応しながら、それはやがて、時空を越えた神話のような広がりと強さと深遠さとを獲得する。  メイキング・ビデオを見ると、監督サミラ・マフマルバフは、すべての場面について明確なイメージを持っており、すべての演技を自分でやってみせる。冷たい水に入るなど、困難なシーンやつらいシーンほど、率先してやって見せる彼女の姿は力強い。「出演者は素人ですから、予めやりたいことを決めておいても、現場で変わることはあります。でも、撮影の前から彼らと一緒に生活することで、どういう人々であるかよく理解できます。そして、恋に落ちる役なら恋に落ちやすい人を選ぶのです。そうすれば、私が教える台詞を、自分の台詞として返してくれます。たとえば、最初は、子供たちと旅する教師だけが主役のつもりでしたが、現場の手伝いをしていた人を、老人たちと旅する教師役として発見し、彼自身の人間性が映画の中に入ってきました。そんなふうに、仕事のときには自分を限りなく柔らかく開いた状態にし、そこから得たもので自分のかたちを作ってゆくのです」。


『ブラックボード -背負う人-』
 その教師が恋に落ちる相手の女性は、戦争で少し気が変になっていて、彼が何を言ってもろくに返事もできず、自分の意志ももっていないように見えるが、ある場面で突然、強烈な感動を与える。「人間は、ふだん外に見えなくてもそれぞれの真実を内面に持っています。弱々しい女性の内なる強さもそうです。それを、一、二、三と段階を踏んで説明するやり方もありますが、一、二を見せずに三だけを見せることで、強い印象を作り出すことができると思いました」。

 象徴的な場面が多く、たとえば、老人たちの群れとその中のただ一人の女性という設定が、はっきりした意図のもとにあることは、メイキング・ビデオの中で言及されている。他の場面においてもサミラは常に、深い考えと自分自身の確固たる手法を持っている。「誰にも読めない手紙の場面は、実際に山奥で一人で種をまく老人たちに出会ったことから生まれました。教師は知識を持っているはずですが、それは手紙を読む役には立たないことがわかります。彼は想像力を駆使して、老人の期待に応えてやらなくてはなりません。おしっこの出ない老人は、もともと考えることなく自然にできるはずのことができず、集団全体が抱える大問題になり、それは娘を通して孫にまで伝えられます。でも、生きるか死ぬかの瞬間には、そんな問題は消えてしまいます。また、教師と未亡人はまったく違う生活や文化をもっていてともに暮らすことはできませんが、生きるか死ぬかの瞬間には、いっしょに黒板の下に隠れます。人は、命がけのときには一枚の紙切れにもすがる気持ちになり、また、そうした同じ痛みを抱えたとき、一体になるのです。そういったことを、大げさな描き方ではなく、小さなことを通して表現したいと思いました」。
 イランでは十数人の女性監督が活躍している(日本より多い?)が、たとえばこの映画では、当初出演していたプロの男性俳優が彼女の演出に文句をつけたあげく辞めてしまった。だが、彼女は前向きで凛々しい。「女性監督たちはそれぞれ苦労して工夫しています。困難は多いですが、だからと言ってやめるわけにはゆかないと、皆がんばっているのです。でも難しいのは撮影の一日目と二日目だけで、そのあいだに出演者たちは、私を監督と認めるかやめてしまうかを決定します。その二日間に自信を持って指揮をとれば、そのあとにはもう困難はありません」。
 
石原郁子・映画批評家。著書『アントニオーニの誘惑』など。


監督プロフィール:1980年、テヘランに生まれる。イランを代表する映画監督の一人、モフセン・マフマルバフの長女。8歳の時に父モフセンの監督作品『サイクリスト』に出演。1994年から1997年まで私設の映画学校 Madresse Film で映画製作を学ぶ。この間、短簾劇映画''Desert''と短簾ドキュメンタリー"Painting Schools"を監督。1998年、モフセンの監督作品『沈黙』の助監督をつとめた後、初の監督作品『りんご』を発表。この作品はカンヌ映画祭「ある視点」に選ばれた。

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